東日本大震災から10年経った今日、思うこと。
忘れもしない、2011年3月11日は金曜日でした。
上の娘の学年の受験最終日だった。
娘は推薦で決まっていたので自宅にいて「そろそろ終わるころかな~」なんて言ってた時、
かなり大きく長い揺れを感じました。
1995年、阪神・淡路大震災を京都で経験した私は、それから地震の恐ろしさを知って常にシミュレーションをしていました。
・風呂の水を常時ためておく
・持ち出し袋の用意
・簡易トイレの準備
・車の中へ非常用品(ガソリンも常に満タンにしておく)
*その他いっぱいあります。ママ友にはバカにされていましたが。
しかし子供が生まれ幼い時は、お風呂の水をためておくと水の事故が起こるからとやめて、そのままになっていました。
10年前の今日、「あ、水!」地震がまだ収まらないけどお風呂場に行って水をお風呂にためようとしました。
すると、茶色の水が出たんです。
水道管がかなり揺れたんだろうなと推測できて、「飲み水とかは地震後はもう用意できないんだな」と悟りました。
震度4だったと思います。
まさか震源地が遠方の東北だなんて思いもしませんでした。
それからは皆さんもご存じのあの未曾有の状況。
それはもう筆舌に尽くしがたいものでした。
当時結婚して仙台に住んでいた親友がおりましたので何度も何度も電話しましたがつながりません。
彼女の実家に電話しても状況がつかめず胸が苦しくなったのを今でも覚えています。
その後、彼女のお母様から連絡があり「家の中はぐちゃぐちゃだけどみんな生きているよ」と。
後に聞いたらまだまだ幼児だった2人の子供と何時間もスーパーに並んだそうです。(旦那様は会社の復旧作業に行かなければならなかった)
並んだ末に買えたものがカップラーメン数個。
大人だけが並ぶのとわけが違いますからね。じっとしていない子供がパっとどこか行ってしまったらまた並び直さないといけません。
本当に大変だったと思います。
あの地震の時、私はどう思ったか。
「今は絶対死ねない」
阪神大震災の時は「まだ死にたくないな」でした。
しかし10年前の時は、子供ができてもうすぐ高校になる娘と、中2になる息子を残し死ねないと心から思いました。
家族を守らなければとすごく感じました。
★「震災婚」
この地震のあとこんな言葉ができました。
天災が起こるとみんな心細くなるんです。
現に私は1995年、震災の年に結婚しました。
その年、私が結婚式を挙げた式場は例年より挙式件数がかなり多かったと聞きました。
人は一人では生きていけません。
あなたを守ってくれる人が必要です。
あなたが守らなければいけない人も必要です。
そうやってこの地球を生きなければならないと天災は教えているのです。
そして2020年の新型コロナウイルスの拡大。
「コロナ禍」の「禍」はわざわいと書き、天災の意であります。
昨年、結婚を強く意識した人も多かったと思います。
阪神大震災の時は生まれていない、東日本大震災の時はよくわからない子供だったという若い世代が、
初めて経験する大きな大きな天災で、結婚に向け大きく動いています。
あの時一緒にテレビ見た娘は10年後の今、子供が2人います。
学校から急いで帰ってきて「怖かったね~」と言った息子は今社会人。落ち着いたら結婚したいと言っています。
私はあれから10年。
後悔ない精一杯の人生を送ってきました。(あくまでも自己満足ね)
子供も巣立った今、「まだ死にたくない」とも「絶対死ねない」とも思わない。
しかし仕事は全うしないといけないと使命感があるんですよね~。困ったことに。
もし今、「結婚をしなければ。そうでなければまだ死ねない」と思っている人がいたら
私は「まだ死ぬわけにはいきません」
これからの10年、あなたはだれのために生きますか?
愛し、愛される人生を送ってください。
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本日名古屋で仲人会がありました。
全員で黙とうをしました。
震災により亡くなられた方々とご遺族様へ、深く哀悼の意を表します。
被災されたすべての方に心よりお見舞い申し上げます。
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